霜柱

 気温がぐんぐん下がって、物の表面の温度が氷点下になると、表面に触れている空気の中の水蒸気が凍り付き細い氷の結晶となります。
 
氷の結晶は伸びて、物の表面はまるで薄い織物をまとったようになります。
 
これを霜とよんでいます。

 庭木に降りた霜、手すりに降りた霜。

 物の表面でできるものなのになぜか「降りる」といいます。


 ある朝、寒いと思ったら一面の霜。そのしんとした冷気は、天から「降りる」何かを思わせるのでしょうか。

 霜(しも)が降り始めると、畑の様子ががらりと変わります。
 
それまでは青みのあった作物も強い霜が2,3回降りると茶色になります。

 一方、霜柱(しもばしら)は、地中の水分が凍って、まだ凍っていない地中の水分が毛細管現象によってしみ出し、それがまた凍って、を繰り返して柱状に凍結したものです。ですから、土が持ち上がりにくい重い、固まった土では霜柱はできにくく、さくさくした畑の土などで見られます。

  私が子どもの頃、登校の道すがら、ざくざくを霜柱を踏んでいるといつの間にか寒さを忘れたものです。霜柱は朝日があたるととてもきれいに輝きました。

そういえば、昔たくさんの子どもたちを悩ませたしもやけは、何処に行ったのでしょう?

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イチョウのまな板

 イチョウの材は油分を含み水はけがよく、水回りに使われます。適度に硬くて、しかも包丁の刃にはやさしいのでまな板としては高級品です。
 これは高知県梼原町の農産物直売所「雲の上の市場」で見つけたイチョウのまな板です。

 店内にはいろんな大きさや形が揃っていました。

 

 

 

 欠点ではないのですが、大きなイチョウのまな板はやや・・・重い。
そこで、小さめのまな板を同じサイズで4枚セミオーダーしました。

家族の少ない我が家にちょうどというだけでなく、取り換えがきいて衛生的です。

 店内にはイチョウのほかに、ヒノキ、ケヤキもあります。
 
木目も表情が豊かです。

 

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銀杏(ぎんなん)

 イチョウ(銀杏、公孫樹)は、裸子植物の仲間。
 葉の形がアヒルの足に煮ているので、アヒルの足の中国語(yājiǎo; イアチァオ)がなまってイチョウになったと言われます。

 ギンナンはイチョウの種子。硬い殻の中の仁という部分を食べます。芽が出たときのための栄養が詰まった部分です。
 ギンナンを炒ってから乳白色の殻を割るところんとした輝く実が現れます。

 

 食べ過ぎると体調を崩す方もいるので要注意、とはいうものの

 ゆっくりと眺めると薄皮を金箔に見立てた翡翠玉のようで
 『白玉の歯にしみとおる秋の夜の(日本)酒』のおつまみにはぴったりの美しさ
。 

 こうやって、里芋の揚げ出しから突然、黄緑のギンナンが現れたりするととても嬉しくなりますね。

 

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「いなか歩き見聞録(お読みもの)」に 「栗(クリ)」を追加しました。 

「田舎旅見聞録(お読み物)」に

 「栗(クリ)」

を追加しました。

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津野山紅茶

 つい最近まで、日本が昔、紅茶の産地だったことはあまり知られていませんでした。
 この何年かのうちに、かっての紅茶の復刻や生産地の復活の動きが目立ってきました。
 その動きの背景には、緑茶の消費減、売り上げの減少に悩むお茶の産地の現状があります。
 苦肉の策であるのかもしれませんが歴史の中に埋もれかけていた技術や味覚がよみがえるのはなんて素敵なことだろうと思います。 しかも、なかなかの美味しさです。「日本紅茶」を日常生活のお飲み物に育てていきたいですね。

 日本の紅茶の歴史は、1876年(明治9年)に紅茶用茶樹の種子が導入され、鹿児島、福岡、静岡、東京に紅茶伝習所が設けられたことに始まります。
 日本の気候風土に適した品種の改良も進められ、昭和30年代半ばまでは1,500t以上生産されていたそうです。
 しかし、1971年の紅茶輸入自由化以降、国内の紅茶生産は衰退し、「えっ?日本で紅茶作っていたの?」という時代が長く続きます。

 そして今、復活、復刻の時を迎えています。

 

 ご紹介するのは、高知県津野町の津野山紅茶。秀平農園(ひでひらのうえん)製の紅茶はくせのない、でもしっかりしたうまみがあります。紅茶の苦手な知人が「これならいただける」と。 
 最近出た新製品「天狗紅茶」は、秀平農園の紅茶ティーバッグにショウガおろしスプーンをセットしたもの。

 

 津野町名物の「つるかめ焼き」との相性が最高でした。

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ショウガの収穫が終わりました

 身体を温める効果がある、ということで人気の「ショウガ(学名Zingiber officinale)」はショウガ科ショウガ属の植物です。  
 学名のofficinaleはラテン語の「薬店」を意味するそうです。昔から健康によい植物と認められていたのですね。
 「論語」には「薑を徹せずして食う。多食せず。(ショウガは除けずに食べる、しかしあまり多くは食べない)」とありますから孔子の時代(前500年ころ)にはすでによく知られていたことが分かります。  
日本でも「魏志倭人伝」、「古事記」に登場し、「延喜式」(927年)に浜松地方が産地で、乾ショウガや漬け物を産した記載があるそうです。
 俳句では露地栽培の根ショウガが収穫される秋の季語となっていて、ショウガの大産地である高知県でも、遅くても11月には掘り取りが終わります。収穫時期にはあたり一面にショウガの茎の香り(根の香りとは少し違うさわやかな香気)がただよいます。

 画像は農産物品評会に出品されたショウガ。
 店先に並ぶショウガは小さく割っったもの。掘り取って茎を切ったばかりのショウガはこんな姿をしています。一個の親ショウガ(一番下の真ん中の塊)からこんなに大きくなるのです。

 

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メニューに「いなか旅見聞録(お読みもの)」を新設しました。

メニューバーに「田舎旅見聞録(お読み物)」を新設しました。

ブログ記事の詳細版

 ・行ってきました、受けてきました四万十川新聞バッグインストラクター講座
 ・里山の柿
 ・欄間(らんま)
 

を掲載しています。

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山眠る

 俳句では「山粧う」は秋の季語。

 

 

 

 


 

 

 

 

 「山眠る」は冬の季語です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅葉ももう終わり。
 錦の衣装を脱ぎ捨てて、寒々とする冬山には
すでにこうやって春を待つ冬芽がひっそりと息づいています。

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大蛮(だいばん) 津野山神楽

 梼原町竹ノ薮の三嶋神社での津野山神楽。
 「大蛮」は動きの激しい舞です。荒ぶる神、でもどこか愛嬌もあります。

 東西南北四方向の神の説得には応じなかった大蛮も
最後の中神の説得に屈して7つの宝物を捧げて舞は終わります。
 7つめの宝を返す際の向上はアドリブをきかせることも多いらしく、今回最後の宝は、お酒の・・・・まことに重宝な宝・・・と聞こえました。さすが土佐の国の大蛮ですね

 舞い終わった後には、何人もの赤ちゃんが祈祷を受けるために待ち構えていました。この日のために帰省した若いご夫婦もいらっしゃるようです。
 さすがの大蛮も休憩を取らねばならないほど次々に赤ちゃんが登壇します。 どっと笑う声があふれ、皆目を細めて見守るなか、健やかな成長を祈る舞いが続きます。

 

 

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四万十川新聞バッグ

  ご存じの方もきっと多いと思います。四万十川新聞バッグ。
  そのバッグづくりのインストラクター講座を受講してきました。 

 机の上に並ぶのは新聞バッグづくりの七つ(八つ)道具です。
 え?これ何に使うの?と思わせる道具も。それは作業が進む中で分かるようになっています

 ワークショップに先だって、株式会社四万十ドラマ 畦地履正 代表取締役のお話をうかがいます。
 新聞バッグの生まれたいきさつ。
 そして、新聞バッグに込められたメッセージに感動します。

 いよいよワークショップ。講師さんの親切な説明のもと、ひたすら、せっせと作ります。説明について行けなくてもひとりひとりへの指導がいただけるので安心です。
 作業に熱中しているうちに初冬の日はとっぷりと暮れ、電灯の明かりの下でも受講生の手は止まりません。この後、地元の方々と交流会、それぞれのお宿にむかいます。
 

 翌日二日目の午前中は、昨日のおさらいをした後、自力で3サイズのバッグ制作。この3つのバッグはこれから審査に入ります。ドキドキです。

 審査の間、受講生は「おかみさん市」の手作りバイキングで昼食してから「新聞バッグコンクール」の力作の展示を見学します。
 作品を楽しく見ているうちに、どうやったらこうなるの?そうかあの工程をこうするのか・・・と昨日からの基本の工程がいきいきと心の中で動き始めます。

 3つのバッグはいくつかのアドバイスを添えていただいて審査をパス、無事お免状をいただくことができました。

 

 

 

 

  私が子どもだったころは、読み終えた新聞紙を近所の八百屋さんや魚屋さんが引き取ってくれました。シワにしないようきれいに読みきちんと畳むことが、子どもの私たちにとっても身じまいのひとつになっていました。
  ワークショップから帰って、新聞を見る目が変わりました。この紙面をバッグに作ろう!と。
 読み終わった新聞紙をシワにしないようきれいに読みきちんと畳みましょう。あのころは小さな手のひらでしたが、今はちょっと年季の入った手のひらで。

 このワークショップの詳しいご報告はここで→「行ってきました、受けてきました四万十川新聞バッグインストラクター講座」

 

 

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