高知県須崎市浦ノ内地区は温暖で
高知県を代表する果樹産地のひとつです。
ここでも野生の鳥や獣が増えて、被害に悩んでいます。
鳥に食べられてしまった小夏。
それにしても上手に食べますね。
と、感心している場合ではないのですが。
高知県須崎市浦ノ内地区は温暖で
高知県を代表する果樹産地のひとつです。
ここでも野生の鳥や獣が増えて、被害に悩んでいます。
鳥に食べられてしまった小夏。
それにしても上手に食べますね。
と、感心している場合ではないのですが。
今年の寒波はなかなかしぶとくて
東北では5m余りの積雪を記録しました。
さらに先週末には強風。 荒れる日本列島です。
高知県須崎市浦ノ内は四国の南
細長い半島に守られて温暖です、ポンカンや土佐文旦の産地として知られています。
暖かな日差しの中
さくらんぼの花が、もう、こんなふうに開きそうです。
このさくらんぼは毎年このころに開花して5月に食べごろになります。
どんなにTVや新聞のネットワークが日本全国網羅しても、地域性というものは色濃く残ります。
隣り合った地域でさえ季節の行事、祝い方も違うことがあります。
四国土佐の国は「健依別(たけよりわけ)」と呼び、雄々しい様を表すといわれ、 伊予の国は「愛比売(えひめ)」どうみてもやさしげな女性のイメージがあります。ほんとにねー昔からそうだったのかしら、と、こんなことをつらつら考えたというのも愛媛県南予地方の桃の節句の「ひなあられ」の美しさがきっかけです。
高知県では(南予の文化の影響のある一部の地域は別として)「ひなあられ」はそれほど一般的ではありません。
色とりどりの餅のかけらとご飯を乾かして油で揚げ、飴をからめると出来上がり。
南京豆を混ぜることもあるそうです。 素朴な飽きのこないお菓子です。
2013年の愛南ふるさと小包は、農産物と農家のお母さんたち手作りのおやつがこんなふうに入っていました。 文旦、伊予柑、東山(ほしいも)、そして「ひなあられ」。
東山3袋は、それぞれ作り手が異なる3つ。、色も味もそれぞれに違って、カラメル風味の強いもの、甘み控えめなもの、柔らかいもの・・・美味しい食べ比べの面白さがあります。
堂の口開け(高知県津野町宮谷)も終盤にさしかかりました。
出来上がった「大わらじ」は奉納の神事を終えてのち薬師堂の前から国道脇の定位置まで
200kgはあるというのに担いで運びます!
力を併せて吊り下げて、
でも神事はこれで終了・・・ではありません。
金剛バッコの下に吊るした藁苞の中からご飯、煮しめ等を取り出して、みんなが分け合い頂きます。
これは縁起物で、いただくと無病息災に過ごせると伝えられています。
津野町宮谷地区の皆さんが心を込めて編むミニわらじ。
今年は「堂の口あけ」に先立つ2月10日にみんなで集まって伝統文化芸能保存館で作りました。
堂の口あけ祭り当日に
無病息災の願いを込めて薬師様のお守りに添えて販売されます。
毎年大好評であっという間に無くなってしまいます。
ひとつひとつ手作りで、同じ物はないので
買い求める人は、じっくり眺めて選んでいきます。
ミニわらじはとてもチャーミング。
原宿に持って行ってもきっと人気が出ると思う、私は。
お守りとミニわらじ一組300円です。
津野町宮谷 堂の口あけ祭りでは
大わらじや大注連縄が出来上がると薬師堂に奉納されます。
奉納の祭事の間、薬師堂の下の東屋では大数珠廻しが
伝統文化芸能保存館では念仏(百万遍)が唱えられます。
大数珠は、そのひとつひとつに集落の一戸一戸の願いを込めたもの
年を経た手、小さな手、掌で包むようにゆっくりと繰り回していきます。
高知県津野町宮谷 堂の口あけ祭り。
大わらじづくりこのように進みます。
新しい大わらじは木と竹で作った枠組みに、ワラを綯いながら編み込んでいきます。
気合いとチームワークのいる仕事。
およそ3時間近くかけて完成です。
今年のわらじは鼻緒がピンとして、いい感じに出来上がりました。
宮谷の大わらじ「金剛バッコ」。
こんな大きなものが毎年リニューアルされているとは驚きです。
作り替えとそれにかかる神事を「堂の口あけまつり」といいます。
堂の口あけは津野山地域のところどころに祭事として残っていますが、このような大きなわらじを作るのは宮谷だけだそうです。
大わらじを作る人、お祭りの参加者にもてなしの椀を配る方、薬師堂前の広場には古いわらじを燃す煙と、温かなシシ汁の湯気と香りが広がっていきます。
高知県津野町宮谷をもっと詳しく知りたい方はこちらから→
宮谷地区に古くから伝わる魔除けの大わらじは、「金剛バッコ」と呼ばれます。
言い伝えでは、昔、疫病が流行したため、悪しきものが集落に入り込まないよう「魔よけ」として作り始めたそうです。
よくよく見れば、「金剛バッコ」はわらじにしては丈が短く半分ほどしかありません。
これは「この地区にはこの大きな金剛バッコを履くほどの金剛力の大男がいる。これはまだ編みかけで、ほんとうはもっともっと大きいわらじになる(それほどの大男である)。」と悪霊を威嚇しているのだそうです。
医療や科学が発達していなかった当時としては切なる願いでありながら、機転の利いたユーモアが込められていてとても魅力的な伝統行事です。