仁淀川の河口から少しさかのぼっていくと、堤防の上を走る道路からこんな風景が見えてきます。
都会の方にはピンとこないかもしれませんが、水をいったんここで堰き止めて落差を利用して田畑に導く、つまり「農業用の取水堰」です。
八田堰は河口に近い大河に堰を作るという難事業で、慶安元年~承応元年(西暦1648~1652年)の4年(5年という計算もあります)をかけて完成した土木工事です。 戦国時代が落ち着き、各藩は一気に国づくりに取り組みます。日本の国土、とりわけ平野部は湿地と川の中。ですから水との戦い、水の制御が肝要で、この頃は農業土木の一時代でした。治水(ちすい)という言葉が今よりもっと重みをもっていたでしょう。
重機のない時代はもっぱら強制的にかり出された村人の人力で行われ、それはそれは過酷な労働だったと言い伝えに残ります。
今はのどかな川の景色。
堰をさかのぼる魚を狙って、サギが旋回します。
今は水田で稲の生育真っ最中。
取り入れた水が田園に向けて流れ出すスタート地点では新緑の中、黒々と、うねるように豊かな水が走り出していきます。